私設工房の作業日誌です。主に船を作っています。

アオシマ1/350「摩耶」(1944)の製作(4)
今週の進捗状況です。

 
高射砲を6基作りました。装備数は日本重巡中最多でまるで戦艦並の重武装です。

 
3連装機銃は13基作りました。これは設計図面とマリアナ沖海戦後の兵器調査記録の両方で一致している数字で、更なる追加増設は行われなかったようです。

 
単装機銃は25mm×27基+予備3基で30基作りました。当時の乗員の戦記には25mmに加えて13mm機銃×36基とありますが、マリアナ沖海戦後の兵器調査記録には25mm単装機銃が海戦前8基+海戦後増設10基の計18基、追加設置できるよう機銃の台座だけ設けた箇所が9基分、13mm機銃は0となっています。

それでマリアナ沖海戦を経てレイテ沖海戦に参加した他の重巡の記録を見てゆくと、どうも25mmを24~28基前後搭載し13mmが0の艦が多いようなので、台座を設けた部分全てに25mm機銃が追加実装されたと考えて計27基、13mm機銃は装備無しと判断しました。防弾盾はマリアナ沖海戦当時の写真には装備されていないように見えるため今回は付けませんでした。

 
機銃の弾薬箱は2種類作りました。背の低いものと背が高くて開いているものはベテランモデル・背が高く閉じているものはフライホークの部品をそれぞれ使い、多目に作りました。高射砲の弾薬箱は調べることがあるので後回しにしました。

これで砲関係の部品が揃いました。来週も装備品の製作を続けます。

アオシマ1/350「摩耶」(1944)の製作(3)
 1/350摩耶は砲塔の表現に手間取り製作が滞っていました。


 フライホーク社の摩耶専用エッチングセットで事足りるだろうと見てましたが、上画像左端のようにいざキットの砲塔に付けようとしたら合いません。上面も側面もキットの砲塔から浮いてしまい加えて側面はサイズも若干小さいためこれでは使えません。

 高雄型重巡の砲塔のみのエッチングはフライホークの他には無く、一時は前に鳥海で使用したホワイトエンサインのエッチングセットを砲塔パーツのみ使う事も考えましたが、タミヤの最上を製作した際に使用したライオンロアの高雄用エッチングセットのレジン砲塔が余っていたのを思い出しました。画像中央の部品ですが表現はエッチング使用とほぼ同等なのでこれを使うことにしました。しかし正面の窓の形状が異なるので正面の彫刻を防水カバー毎削ってフライホークのエッチングを調整して貼り付け、それをガイドにして窓を開け直しました。

 上画像右端が最終的に形になった2番砲塔です。砲身の防水カバーは例によってタミヤ最上の部品を複製流用し、それ以外のエッチングと金属砲身はフライホークのものです。砲塔から張り出す形で照準を付ける測距儀の窓が長方形のラッパ状に開いていますが、妙高型と高雄型の一部の艦は大戦中に(恐らく高角度の対空射撃に対応する目的で)この窓が大型化されました。これをエッチングで再現しているのはフライホークのエッチングのみのようです。


 砲塔は必要な4基分全てできました。画像奥から1番~4番砲塔になります。1番砲塔に測距儀の窓がありませんが、高雄型重巡は波浪の影響で大戦中に1番砲塔の測距儀を廃止してカバーのみが残されたとされ、他の3艦にはそれを示す写真が存在します。摩耶には直接の資料がありませんが他艦同様に廃止されたと判断しました。


 画像奥が2番砲塔、手前が3番砲塔です。最終状態の摩耶には3番砲塔上にのみ25mm単装機銃が2基付きます。弾薬箱を置いたとする資料はありませんが、無いと弾を撃ち尽くす度に砲塔を降りて取りに行くため2個置くことにしました。

 機銃員の操作の邪魔になりそうなので赤矢印で示した主砲演習用の機械の彫刻を削り落としました。元々は全ての砲塔にあった装備ですがどうも絶対に必要なものでも無かったようで、愛宕・最上・三隅・利根の大戦中の写真に撤去した姿が写っています。摩耶のマリアナ沖海戦直前の写真を見ると1番と2番砲塔上のものは残っているようですが3番は判別できず4番には明らかにありません。よって4番砲塔上の彫刻も削りました。

 摩耶の設計図面には3番砲塔上に機銃と空中線支柱が描いてありますが、この状態で空中線支柱を付けても射撃の邪魔です。写真にも写っていないため付けないことにしました(2番砲塔上の支柱は設計図面に描かれていません)。

 当分の間1/350摩耶の製作を先に進めます。10月中は各種兵器装備品の製作に掛かり特に障害になりそうな部品もないのでブログの更新も今後は週1回ペースで行います。

1/700ピットロード「龍鳳」+ハセガワ「瑞鳳」→「瑞鳳」(1944)の製作(3)
 経過報告ですが、まずピットロードの龍鳳の船体から側面の張り出しやバルジの彫刻を削り落としました。


バルジは船体のプラの厚さ以上に削り込むため裏側にプラ板を貼りエポパテで補強した上で削りました。


 次に形状が異なる艦尾部分を切り離し、ハセガワの瑞鳳の艦尾を幅を広げて繋ぎました(格納庫の床の切れている所が接合部です)。艦橋周辺と前部及び左舷後部高射砲周辺の船室の形状が異なるのでプラ板などで作り替えました。

 飛行甲板は今回厚さの薄いエッチングを使用するため、船体の高さを合わせる目的で格納庫の上端に0.5mmプラ板を貼って調整しました。

 現在は上の写真から外板モールドを付けた状態まで進んでいます。しかし少し調べることが出てきたので製作はここで一旦休止し当分の間1/350摩耶の方を先に進めます。

ピットロード1/700工作艦「明石」(1939)の製作
前回の瑞鳳の記事を上げて間もなく、外板表現ありの船をしばらく作っていなかったので、表現の確認用に上部構造があまり複雑でないものを2週間程で作ろうと考えて手を付けました。しかしながら資料を検討すると足りない部品や表現の見劣りする部分があり結局1ヶ月近く掛かってしまいました。

手間がかかったついでに航空母艦ではあまり使用しない用具箱のエッチングや吸気口の金属部品も多数使ってみました。太平洋戦争中の変化がよくわからなかったので全体の写真が残っている1939年完成時の状態としました。ただし工作艦ということで船体の汚しはやや強めに施しました。
  
ピットロードのキットです。
基本はゴールドメダルの専用エッチングセットを使用
船体外側の外板表現を再現し舷窓も付け替えました
艦首形状がやや甘かったので修正しました
甲板と一体化していた吸気口を削ってフライホークの金属部品を付けました
艦橋の窓を開けて窓枠を付けました
一部の装備品はレインボーモデルのエッチング他各社部品から流用自作しました

工作艦とは言葉の通り損傷した艦艇の修理を最前線の近くで行うことを目的とした動く修理基地で、明石には当時最新式の工作機械が装備されていました。性能は極めて高く連合艦隊の年間の修理量の4割をこの艦一隻でまかなう事が可能だったといいます。艦内に各種の工場を設けていたため船体が高く、また甲板上にも大型のクレーンが装備されていました。

明石は太平洋戦争の開戦後にトラック島に進出し、ソロモン方面で損傷後退してきた艦の修理に当たりました。昭和19年2月のトラック大空襲で損傷し後退したパラオ島で再び空襲を受けて大破着底し生涯を終えました。この艦を失ったことによって日本海軍は南太平洋方面での広範囲な作戦行動が困難になり、戦局が著しく不利に傾いてゆきました。

改めて写真を撮ってヤフーボックスに追加します。
瑞鳳の製作は前回の記事の状態からほとんど変わっていません。外板表現の確認ができたので以降製作に戻ります。1/350摩耶と合わせて経過説明は近日中に書きます。
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まとめ