私設工房の作業日誌です。主に船を作っています。

フジミ1/700敷設艦「津軽」(1941)の製作(1)
 駆逐艦を作るつもりで既に買っていたキットを整理したら、フジミ1/700の敷設艦津軽が専用エッチング込みで買ったままになっており、大きさ的には駆逐艦と大差がないのでこれを先に作ります。


 製作は非常に早く進み主要構造物の修正と追加作業が終わりました。いつものように船体外板と舷窓、舷外電路等のモールドを追加し、甲板上の機雷運搬レールを追加しました。艦橋の上部の表現がやや弱いので手を入れました。これから本体の塗装と平行して装備品を作ります。完成までさほど時間はかからないかもしれませんが、いつもここからの詰めが難航するので断言はしないでおきます。

ピットロード1/350二等輸送艦101号型→「149号」の製作(3)
 昨年中に仕上げるつもりでしたが、新しい表現を試したりフィギュアを当初の予定より増員していたら1月の半ば迄過ぎていました。第149号二等輸送艦は完成に至りました。

  
 右舷側は通常通りの仕上がりで、戦争末期の輸送艦である事を考慮してスミ入れと汚しを従来よりもやや強めに掛けました。今回は各所にフィギュアを配置しました。

 この輸送艦は敵の攻撃に晒される最前線に突入し、短時間で兵器兵員を上陸させて離脱する目的で作られ、量産性重視で曲線が全くない独特の船型を持ちました。上部甲板に乗せられた車両は前方のスロープを通ってすぐに外に出られました。内部の格納分も含めて満載した戦車の上陸はわずか8分間で完了できたと記録されています。

 普通の船であれば錨は艦首の両側に付きますが。この艦は艦首と艦尾にありました。これには理由があり、上陸する浜辺に乗り上げて兵器兵員を降ろしたあと、機関後進で浜辺から抜けられなくなった時に、後部の錨を沖に運んで落とし、鎖で巻き上げる事によって離脱できるようになっていました。艦首の底の部分がW字の形になっているのも浜辺に乗り上げる事を前提に採用された形でした。

  

 左舷側は舷側を開いて内部の車両格納庫や中後部の兵員室や機関室を再現し、船体内部の構造が分かるようにしました。艦の前半部は断面で見て中央が車両格納庫で両サイドが戦車搭乗員や兵員の居住区ですが、側面手前の居住区を再現すると車両格納庫が分かりにくくなるので床のみとして居住区は省略しました。

 中央部の居住区は三段式ですが、製作の都合で二段まで再現しました。フィギュアと比較して天井が極端に低く見えますが、これは製作の都合もありますが、実艦の図面でも室内の高さは1m50cm程しかなく、かがんで歩くしか無かったようです。模型では20名を配置しましたが、図面上は30名以上が詰め込まれる仕様になっていました。両サイドの空所は重油タンクになっていました。


 途中経過では触れられなかった点について。艦尾の舵はぶ厚かったので薄く削りました。またスクリューシャフトやブラケット等は真ちゅう線やパイプ等で取り替えました。


 艦橋内部にも兵員を配置しました。


 搭載車両のうち、97式自走貨車(トラック)は画像奥側の元の部品ではあまり特徴が出ていないのであちこち削って特徴を出しました。

 大きな大砲も無ければ革新的な兵器もない地味な輸送艦で、最前線への強行輸送という任務から短期間で失われる前提の消耗品的な扱いでした。速力も遅く荒れた海での航海はままならなかったと記録されています。昭和19年から終戦までに海軍で49隻が完成しましたが、本艦も含めて40隻が戦没しました。

 しかしながら、太平洋戦争で日本が本当に必要としたのは、大和や武蔵のような大戦艦ではなくこの艦のような最前線に突入できる簡易な構造の輸送艦でした。かかる艦が無かったがために、昭和17年のガダルカナルやソロモン諸島の戦いで高価で貴重な駆逐艦を輸送任務に投入せざるを得なくなり、多くが失われ、そのツケは戦争末期に敵の潜水艦攻撃によっておびただしい数の船が撃沈される惨事につながりました。登場は遅すぎたのですが、それでも硫黄島や南方への輸送任務に活動した艦でした。



 改めて写真を撮ってヤフーフォトに追加します。
 今年はとりあえず昨年から継続の1/350赤城の製作が第一ですが、大きさ的に全体の組立や塗装は春過ぎにならないとできないため、それまでは装備品や艦載機などの小物を先に進めます。当面は去年も書いたように1/700の駆逐艦を何隻か作るつもりです。昨年から今年に掛けても多数の新製品が発売され、それらの艦も魅力はありますが、作れるのは来年以降になりそうです。

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まとめ